Comemoração de 70 anos da associação.

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Artigos publicados nos jornais Nippon já e Brasil Nippou.

Cortesia de Aldo Shiguti, editor chefe e jornalista do Nippon Já, responsavel pelo artigo. Masayuki Fukasawa, jornalista responsavel pelos artigos do Brasil Nippou


日系社会ニュース

和歌山県人会=創立70周年記念式典盛大に=鈴木県議会議長ら慶祝団12人=岸本知事「万博来て故郷に寄って」

2024年10月22日

乾杯の後の来賓ら記念撮影

ブラジル和歌山県人会(谷口ジョゼー眞一郎会長)は創立70周年記念式典を19日晩、サンパウロ市パウリスタ大通りのクルベ・オムスの大サロンで開催し、岸本周平県知事や鈴木太雄県議会議長ら母県慶祝団12人を迎え、南麻州などの遠方からの会員もはせ参じて約300人が盛大に祝った。1953年に和歌山県を大水害が襲い甚大な被害をもたらした社会情勢を背景に、1600家族、約6千人が当地に移住し、相互扶助を図るために初代会長の故竹中儀助氏らが1954年に同県人会を創立し、その節目を今回祝った。

 


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養鶏家の薮田修さんも慶祝=「和歌山に深い愛情感じている」

2024年10月22日

薮田修さん

バストス市からブラジル和歌山県人会創立70周年記念式典に出席した有名な養鶏農家の薮田修さん(83歳、2世)は、「両親が和歌山県出身なので、今でも県人会を支援していますよ」とほほ笑んだ。県連日本祭りの際、同県人会はお好み焼きを4千枚以上売り上げることで有名だが、それに使う卵は薮田さんが以前から提供している。
「父はすでに亡くなっていましが、1973年に母を吉備町に里帰りさせたとき私も一緒に行きました。まだ母の妹も生きていましたから。昨年の県人会世界大会にも参加し、再び母の実家を尋ねました。51年前にはまだ小さな女の子だった従姉妹が、立派なご婦人になっていて、時代の流れを感じました」としみじみ述べ、「和歌山には深い愛情を感じているので、県人会70周年を心からお祝いした」と喜んだ。

育代さんと家族ら

当日、県知事と県議会議長から白寿表彰を受けた99歳、木田田中育代さんに感想を聞くと「日本からわざわざ来て渡していただき、大変ありがたく思いました」と喜んだ。親に連れられて7歳4カ月で渡伯、「小学校1年と半年でした。新宮町の駅前の大通りに住んでいました。とても賑やかだったのを憶えています」とのこと。
「戦争中はバレットスで日本語学校は閉鎖。お姉さんや両親が夜、こっそり日本語を教えてくれました」と思い出す。「でもサンパウロは良い町です。ブラジルに来てよかったですよ」と家族に囲まれて笑顔を浮かべた。